大志 ambition 2003 10 29
今という時代は、誰もが、小さくなってしまった。
かつては、誰もが、「大志」というものを持っていた。
これを「信念」と言っても、よいでしょう。
「大志」も「信念」も、みんな、忘れてしまったのです。
戦前に活躍した政治家は、数多いが、
歴史に、名前が残っているだろうか。
内村鑑三という人物がいます。
彼の生涯は、迫害と弾圧、そして、次々と、職を追われたという人生だった。
家庭的にも、不幸があったかもしれない。
それは、戦争に反対したこと。
当時の天皇制礼賛にも、反対したこと。
彼は、ふたつの主君に仕えることはできないという立場を明確にした。
イエス・キリストと天皇。
内村鑑三は、無教会派と言われるが、
教会を否定していた訳ではなかった。
当時、内村鑑三を、もっとも迫害していたのは、
あろうことか、キリスト教会だったのです。
キリスト教会を追われて、無教会となったのです。
当時のキリスト教会は、天皇制礼賛主義を肯定していたのです。
しかし、彼の生涯は成功で、その生き方は、文句なしに完璧な姿だった。
歴史に、その名が残った。
「信念の人」。
彼は、かつての預言者のように、時代に警鐘を鳴らした。
「私は日本のために、日本は世界のために、世界はイエス・キリストのために」
彼が残した言葉です。
戦前に活躍した政治家は数多いが、
歴史に名前が残っているだろうか。
信念のない政治家は、
歴史という大河に、浮かんでは消える、泡のようなものです。