プラネタリウムの涙 teary planetarium 2003 7 30
今から、十数年前に、地方自治体で、プラネタリウムの建設が流行しました。
私は、それを悲しい思いで見ていました。
何十年も、天文学を趣味としてきた私にとっては、
いかにプラネタリウムの運営や経営がむずかしいかを十分に知っていました。
にもかかわらず、あちらの市でも、こちらの町でも、
プラネタリウムの建設が流行しました。
プラネタリウムの運命が、どうなるか予想がつきましたので、
何と痛ましいことだと思いました。
プラネタリウムを作るならば、子供の遊ぶ公園を作った方がよいと進言しましたが、
それでは、あまりに地味で、目玉にならないと言っていました。
何の目玉と言えば、選挙の目玉です。
選挙で得票数を稼ぐために、十数億円の税金を投入したのです。
収支計画を聞いたところ、そのようなものはないと言っていました。
選挙の目玉ならば、収支計画など、必要なかったのでしょう。
このようにして、プラネタリウムが、あちこちの市町村で生まれました。
プラネタリウムの悲しい運命が始まりました。
地方自治体の首長と建設会社は、楽しい日々だったのでしょう。
プラネタリウムの場合、企画と、解説者の人格がポイントです。
もちろん、解説者は、天文学に専門的な知識が必要です。
天文学が詳しくて、なおかつアイディアマンで、
さらに、解説が楽しいことが条件です。
プラネタリウムは、いかに、いい人材を確保するかがポイントです。
優秀な人材が、プラネタリウムを維持するのです。
しかし、天文学に詳しくて、企画力があり、解説が上手な人材は、
めったにいません。
貴重な人材と言えます。