三つの驕り(おごり)

 以下の文章は、人間の人生について書いたものですが、
国家においても、「三つの驕り」があると思います。
 国家も、やがて老いていき、国家の中にも病が広がり、
その結果、国家も、滅びることがあるのです。
 世界最強の国家であったローマ帝国も、
歴史の彼方(かなた)へ消えていったのです。
誰もが、「ローマ帝国は、若く、強く、そして永遠に続く」と思っていたのです。
 そんなローマ帝国が、なぜ滅びたのか。
世界のすべての人は、ローマ帝国を教訓として学ぶべきです。
 なぜ、歴史は繰り返すのか。
人間は反省をしないと同じ過ちを犯す。
その人間が歴史を作っているから、歴史は繰り返すことになる。

三つの驕り three arrogance 2004 7 14

 人間には、「三つの驕り(おごり)」があります。
 最初に、「老い」に対する「驕り」です。
自分は、いつまでも若いと思うことです。
しかし、「老い」というものは、確実にやってきます。
金持ちにも、貧乏にも、
天才にも、凡人にも、必ず、「老い」はやってきます。
誰もが、これを逃れることはできません。
 たとえば、道路を渡ろうとする時に、こんなことがあるでしょう。
車の流れに、切れ間があり、
渡れると思って、道路を渡り始めた。
しかし、気持ちのなかでは、渡れると思っても、
体がついていかなくて、
道路の途中で、車が来てしまう。
こういう状況が、確実に増えてくるでしょう。
 女性は、永遠に、美しさを求めているでしょう。
しかし、その気持ちとは裏腹に、
確実に、年を取れば取るほど、醜くなっていきます。
 毎年、美しくなりたいと思っていても、
毎年、醜くなっていきます。
どんな大女優でも、80歳を超えたら、その姿を見たくないでしょう。
 次に、「病」に対する「驕り」です。
自分は、いつまでも健康であると思うことです。
しかし、どんなスポーツマンでも、病気にはなります。
しかも、多くの人には、
「老い」と「病」が、同時に襲ってくるでしょう。
年を取れば取るほど、「病」に対して、抵抗力がなくなっていくのです。
 最後は、「死」に対する「驕り」です。
自分は、いつまでも生きていられると思うことです。
つまり、自分は不死であると錯覚することです。
 しかし、人間は、生まれた時から、
「死」というゴールを目指して生きていると言えるでしょう。
あらゆる人に、「死」は、確実に、やってくるのです。
人間は、「死」に対して、平等です。
 こうした、「老い」、「病」、「死」は、
人間にとって、「苦しみ」であると同時に、
驕り高ぶった人間に、人間の限界を理解させるために必要です。
つまり、これは、人間の「真理」なのです。
 人間は、「三つの苦しみ」(真理)のなかを、どう生きていくのか。
こうした「苦しみ」の根本は、肉体への執着です。
 人間が、生きているのは、「学ぶため」と「愛するため」です。
人間は、「学び」と「愛」のなかを生きる時、
「永遠の生命」を感じるのです。
 仏教とは、むずかしいと思っていたでしょうか。
これも、仏教の大切な教えです。
「悟り」と言っても、今の時代は、わからないでしょう。
しかし、「学び」と「愛」のなかを生きる時、「悟り(永遠)」はあるのです。















































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