内角低目 2008 4 13

 私は、スポーツを観戦するのも、テレビで見るのも、大好きです。
なぜか。
それは、「憧れ」でもあり、「ないものねだり」かもしれません。
 人間は、肉体と魂で、できているのです。
問題は、魂が、上手に肉体を制御できないことです。
たとえ話をすれば、魂が運転手であり、肉体が自動車の関係にあります。
そういうわけで、私は、下手な運転手かもしれません。
 魂といっても、わかりにくいかもしれません。
魂というよりも、「思考するエネルギー体」ということでしょうか。
そういうものが、身長175cm体重70kgの小さな肉体に入っているような感じだと思います。
 あれは、数十年前の幻だったのか。
もう、内角低目をホームランにすることはないでしょう。

内角低目 low and inside 2005 11 27
 政治経済の話題ばかりでは退屈するでしょうから、
たまには、違う話題を書きましょう。
 いつも、この時期が来ると思い出すことがあります。
それは、稲刈りが終わった田んぼで、弟と野球をやっていたことです。
なぜ、この時期かというと、冬にならないと、地面が固くならないからです。
 弟と二人で、ピッチャーとバッターを交代で、野球を楽しんでいたのです。
その時、私は、妙な癖をつけてしまいました。
 それは、社会人になって、レクリエーションで野球をやった時に、
たいていのピッチャーが、首をひねることになったのです。
その癖とは、内角低目が得意になってしまったことです。
たいていの人は、内角低目では、空振りかファールになるか、どちらかでしょう。
 そういうわけで、私がバッターボックスに立つと、
たいていのピッチャーが、内角低目に投げてきます。
それは、私にとって、最も得意なコースですので、当然、長打となります。
 そして、たいていのピッチャーが、次の打席でも、内角低目に投げてきます。
そして、やっぱり、長打となります。
さすがに、3巡目は、敵のピッチャーも、内角低目に投げてこなくなりました。
それが、私の最も得意なコースだと、わかったからでしょう。
 ところで、なぜ、私が、内角低目が得意になったかというと、
弟が、内角低目しか投げてこなかったらです。
とてつもなく広い田んぼで、打たれた方が、球拾いと決まっていましたから。
 今でも、もう一度、あの内角低目を打ってみたいと思っていますが、
今となっては、それは、叶わぬ夢となってしまいました。
壊れ行く筋肉。
 あの時の、愛用のバットも、数十年前の実家の火事で、灰となってしまい、
本当に、遠い遠い思い出となりました。














































トップページへ戻る