潜水艦の名誉 2010 5 8
2003年5月24日に、このようなことを書きました。
これは、沈没の危機にある潜水艦において、
艦長の決断を題材に、政治家という仕事の厳しさを書きました。
多少、誇張して書きましたが、
政治家は、どのような決断をしても、少なからず国民に恨まれます。
場合によっては、そういう人たちによって、テロで殺されることもあります。
しかし、それが政治家の宿命です。
そのようなことに怯む政治家は、直ちに職を辞すべきです。
このような政治家の存在は、国民にとっては不幸な存在です。
また、太平洋戦争において、このような話も聞きました。
数名を助けるために、結局、部隊を全滅させることになったと。
つらいことですが、全員を助けることはできないのです。
それが、政治であり、政治家の辛さです。
人間には、感性、知性、理性が必要です。
「かわいそう」と考えるのは、感性ですが、
感性が強すぎて、理性が弱いと、決断できなくなります。
庶民は、人情という感性が大切ですが、
政治家は、感性と理性のバランスが必要です。
今の時代、感性ばかり強くて理性が弱い政治家が多いかもしれません。
理性とは rational nature 2003 5 24
今は昔、戦争が多かった時代に、こんなことがありました。
ある潜水艦は、深海の戦場にて、運悪く、敵の潜水艦と接触して、
潜水艦の前部である頭部が損傷しました。
このまま何もしなければ、潜水艦は沈んでしまいます。
そうなれば、100名の乗員は海の底に沈みます。
大至急、潜水艦の頭部を閉鎖すべき状況になったのです。
しかし、その頭部には、まだ乗員が数名残っていました。
それでも、一刻の猶予もありませんでした。
艦長は、直ちに頭部の区画の閉鎖を命じました。
結局、数名の犠牲者と、100名近い乗員の救命という結果となりました。
乗員はすべて軍人でしたから、艦長の決断には異を唱えませんでした。
しかし、艦長は、陸に上がって、遺族からは殺人者扱いをされたかもしれません。
それでも、艦長の決断は正しかったのです。
善か悪かと言えば、善だったのです。
あのまま、艦長が迷っていれば、100人全員が海の底に沈んだのです。
これが理性のひとつなのです。
しかし、理性が弱いと、指導者というものは務まらないのです。
理性とは、善悪を峻別する力ですが、
時代によっては、何が善で、何が悪か、その判断が困難な時があります。
しかし、決断しなければならないのです。
艦長の決断を例に出しましたが、これは政治家のことを言っているのです。
政治家は、どのような決断をしても、必ず、少なからず、国民に恨まれます。
場合によっては、そういう人たちによって、テロで殺されることもあります。
しかし、それは政治家の宿命なのです。
そのようなことに怯む政治家は、直ちに職を辞すべきです。
このような政治家の存在は、国民にとっては不幸な存在です。