ネイズビーの戦い 2011 1 29
報道では、「デモ、エジプト全土へ拡大か」、
「エジプト、内乱状態か」と伝えられています。
もはや、エジプトで、
強権政治(独裁政権)を維持するのは無理でしょう。
仮に、デモが鎮静化しても、
人心が、ムバラク政権に対して完全に離れてしまったと思います。
こうした状態で政権を維持しても正当性はありません。
さらに、この状態は、宗教的にも反していると思います。
宗教指導者は、民主化を支持すべきです。
チュニジアから始まった民主化革命を、
「小さな動き」と捉えると、それは大きな間違いです。
これは、大きく見れば、
東欧から始まった民主化革命が地球規模で続いていると見るべきです。
いや、もっと大きく考えれば、
イギリスから始まった「ネイズビーの戦い」が、
まだ地球を一周していないということでしょう。
ネイズビー Naseby 2004 5 25
1625年に国王となったチャールズ1世は、
父王ジェームズ以上に、専制政治を強化した。
そのため、議会は、「権利の請願」を提出し、
「議会の同意がない課税」や、
「法律に基づかない逮捕や投獄」をやめることを、国王に約束させた。
しかし、これに対し、国王は、結局、議会を解散し、
約11年間、議会を開くことなく、専制政治を行うことになった。
こうして、王党派と議会派の対立は、深刻なものとなり、
ついに、ある事件を契機に、イギリスは、内乱状態となった。
議会派の中心であったクロムウェルは、
近代的な軍隊に近い「新型軍」を編成し、
1645年に、「ネイズビーの戦い」で、王党派の軍隊に大勝した。
1649年には、国王が処刑され、議会派が、共和政を打ち立てた。
これが、ピューリタン革命と呼ばれることになった。