エジプトの未来 2011 1 30

 ニュースで毎日のように出てくるエルバラダイ氏の名前。
しかし、エルバラダイ氏には、
政治家としての資質があるか未知数です。
 もし、エルバラダイ氏に政治家としての才能があれば、
帰国してカイロ国際空港に到着したら、
そこで新政府樹立の宣言をすればよかったのです。
 「まだ、形もないのに新政府か」と思った人は、
学者か凡人でしょう。
 全世界のメディアがエルバラダイ氏を注目しているのです。
そこで、新政府樹立の宣言すれば、
相手に、大きな政治的ダメージを与えることができたのです。
 つまり、新政府樹立には、
まだ人材がいないとか、資金がないとか考えてしまうのは、
学者か凡人である証拠です。
 要するに、新政府樹立の宣言は、
相手に政治的ダメージを与える道具として使うということです。
 こうした手法は、
激しい権力闘争を勝ち抜いてきた中国の政治家には、よくわかるでしょう。
 こうしてみると、ムバラク氏にも、
まだ巻き返すチャンスがあるかもしれません。
 あるいは、宗教指導者や宗教的な運動家が、
実質的に、国の実権を握る可能性もあります。
 エルバラダイ氏は、自分が当事者なのに、
同氏の発言は、まるで政治評論家のコメントのように聞こえます。
このような政治状況の場合は、評論家のような発言ではなく、
国民を鼓舞する発言をすべき時です。
 こうしてみると、エジプトの未来は、
混沌として、見えないものがあります。

時計の針 clock hand 2004 7 11
 サダム・フセイン政権とアルカイダの間には、
正式な協力関係がなかったというニュースがありますが(2004年当時)、
これは、イスラム社会を知っていれば、当然のことです。
 サダム・フセインは、敬虔なイスラム教徒とは言えなかったのです。
サダム・フセインは、かなり世俗化していたのです。
世俗化の代表例が、サダム・フセインだったとも言えます。
 しかし、そのサダム・フセインが戦争に負けたことで、
時計の針が、逆戻りするかもしれません。
 なぜならば、敬虔なイスラム教徒は、こう考えるかもしれません。
「サダム・フセインは、世俗化したから、戦争に負けたのだ。
だから、イスラム教徒は、イスラム教の原点に戻るべきだ」
こうして、イスラム教原理勢力の力が強くなっていくと思います。














































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