野球 baseball 2003 8 24
歴史に残るホームランバッターが、かつて、こんなことを言っていました。
いくら、ホームランを打つことに自信があっても、
外角低めのゾーンばかり投げられては、さすがにホームランにはできない。
やはり、甘い球をホームランにしている。
つまり、ホームランバッターには、外角低めのゾーンに投げていれば、
ホームランは打たれないのです。
ピッチャーも一流の選手ですので、外角低めのゾーンに投げられます。
しかし、ホームランバッターは、やはり、結果的には、50本以上のホームランを打ちました。
ピッチャーに聞くと、わかってはいるが、
なぜか、吸い寄せられるように、甘いコースに、ボールを投げてしまうそうです。
甘いコースに投げてはいけないと注意しているが、
まるで、引力に引きつけられるかのように、ボールを投げてしまうそうです。
こうして、大打者が、ホームランバッターにならないようにする方法を知っているのに、
それを防げずに、シーズンが終わってみれば、
また同じ人がホームランバッターになっているのです。
国際情勢も同じです。
このピッチャーと同じことが、よく起きているのです。
そっちに行ってはダメだと祈っていても、やはり、その方向に行ってしまいます。
その結果、得られる帰結は見えているのです。
これは、何も中東情勢だけではありません。
人間が生きていく上で、同じことが起るのです。
滅びの門の前に立って、
気づかずに、なかに入ってしまう人たちがいます。
悲しいことです。
もしかすると、わかっているが、自分の運命と考えて、あえて行くのでしょうか。
滅びの門は広く、楽に見えるのです。
しかし、その先に道はないのです。
滅びの門は誘ってくるのです。
何と、たとえれば、いいでしょうか。
楽しそうに船を漕いでいても、その先には滝があるのです。
しかし、死すべき運命に生きている人は、やはり死の道を歩むのか。
死すとは、
肉体的に死す場合、
政治的に死す場合、
経済的に死す場合、
いろいろあります。