2003    2003 9 5

 未来図というものがあります。
2003年を迎えるにあたって、
まさか、世界は、未来図の方向に動くことはないと思っていました。
 しかし、2003年の、今までの世界の動きを見ると、
やはり、磁石に引きつけられるかのように、未来図の方向に向かっています。
 年初から、何度か、このサイトで、その危険性は指摘してきたのですが、
しかし、大きな川の流れには逆らえず、大河に石を投げ入れたような結果になっています。
 なぜ、こうなるのか。
それは、現代の人間が、物事を総合的に見られなくなったからです。
 政治、経済、財政、外交、軍事、民族、宗教、
それぞれの分野には、細分化された専門家がいますが、
しかし、これらの要素を総合的に見て、総合的に判断できる専門家がいないのです。
たとえば、外交の特定の分野には詳しいが、それ以外は専門外という専門家が多いのです。
 こういう専門家を何百人集めても、
それは、バラバラになったジグソーパズルに過ぎないのです。
 だから、世界各地で起る事柄を、「たいしたことではない」と気楽に考え、見過ごし、
しかし、後になってから、
歴史的に見れば、それが転機となった場合もあるのです。
 日本には、将棋というゲームがあります。
将棋の駒は、数が多いので、誰もが、こんなミスをします。
 小さな弱い駒が、ひとつ動いたのは、たいしたことではないと考えて、見過ごし、
しかし、勝負が終わってみれば、その小さな弱い駒が、勝負の明暗を分けた。
 人間にも、国にも、民族にも、運命というものは、やはり、あるのかと考えてしまいます。
「運命は乗り越えられる。運命は開拓できる。」
そう考えていたが、しかし、これも、時代の徒花なのか。