誰のための政策か

 昔だったら、「超」低金利政策などの「金融緩和政策」を行えば、
景気浮揚、あるいは「バブル景気に近い状態」になったかもしれません。
 しかし、これは、「昔」の教科書に書いてある政策です。
マネーに国境のない現代において、こうした政策を行うと、どうなるか。
 日本国内に資金需要がなければ、「膨張したマネー」は外国に向かいます。
つまり、日本国内は変化なしで、外国の「ある国」は、バブル景気に近い状態となります。
 もちろん、外国の「ある国」が、日本製品を大量に購入すれば、
「輸出ができる日本企業」は、景気回復となるでしょう。
しかし、「輸出ができない企業」は、どうなのか。
貯金民族と言われる日本人(庶民)の景気は、どうなのか。
 誰のための政策なのか。

留学生たちへ

 いつか、「日本文化」や「日本のよさ」、
あるいは「日本の技術」が、世界的に認知され、
日本で学ぶ留学生が大きく増えてくるかもしれません。
そして、日本で学んだことを祖国(母国)へ伝える動きが、
大きな流れとなる日が来るかもしれません。
 しかし、そういう留学生にとって、
思わぬ「落とし穴」が用意されているかもしれません。
日本で学んだことで、
すっかり「日本ファン」や「日本びいき」になってしまい、
祖国では「浮いた存在」になってしまうことです。
何かにつけ、金科玉条のごとく、「日本では、こうだった」と言うのですから、
自分の国では「浮いた存在」となるのは、当然だと思います。
 もう一段高い知性があれば、
「確かに、日本は素晴らしいが、
その日本にも、やはり光と影がある」と認識できるのです。
 今から、将来の留学生たちのことを心配しても仕方ないことですが、
そういう留学生が、やがて大量に出現し、
日本文化を母国に伝えたつもりが、
かえって、母国の人たちに、日本文化が嫌われることになってしまった。
そういうことが懸念されます。
 どのような文明社会にも、
必ず、光と影の部分があるのです。
しかし、知性が低いと、その「影の部分」が見抜けないのです。
 私は、未来の留学生たちに、こう言いたい。
「『日本では、こうだった。日本では、こうしていた』と言ってはいけない。
日本を踏み台にして、日本を乗り越えていけ。
それが、日本に対する恩返しとなる」と。
(注)
「金科玉条」
 本来は、いい意味で使われます。
(金玉の科条(法律)の意)最も大切にして守らなければならない法律または規則(広辞苑)。
 しかし、度が過ぎると、悪い意味になってくると思います。
たとえば、「私は、創業者の教えを金科玉条としている」という具合です。
 現代は、変化の激しい時代ですので、あまりにも過去の教えに固執していると、
時代にそぐわない、あるいは時代遅れになってしまいます。














































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