国連幻想 2025 10 19
「国連は、独裁国家や強権国家に乗っ取られたかもしれません」
昔は、日本が紛争に巻き込まれたら、
国連軍が助けに来てくれるという幻想がありましたが、
今はでは、そういう幻想を抱く人は少なくなりました。
そもそも「国連」という訳語は誤りです。
「United Nations」なので、「連合国」が正しいのです。
何の連合国かというと、
第二次世界大戦の戦勝国の連合国という意味です。
日本は、いつまで、そんな連合国に加盟しているのか。
そんな連合国を解体して、
新しい連合国を作るべきでしょう。
現在の連合国の加盟国を見ると、
独裁国家や強権国家ばかりでしょう。
純粋に民主主義を行っている国は少数派かもしれません。
だからこそ、純粋に民主主義を行っている国を集めて、
民主主義連合国を作るべきでしょう。
存在の耐えられない軽さ The Unbearable Lightness of Being 2014 3 8
さて、安倍首相は困りましたね。
プーチン大統領と個人的な友好関係を築いてきたのに、
ロシアがクリミア半島で「実質的に軍事的な行動」を取ったことで、
国際社会は、ロシアに対して、制裁を発動しています。
さあ、どうする?
日本人ならば、「こんな時は、国連に動いてもらおう」と考えるのでしょうが、
きっと、この文章を読んで、初めて、
国連という存在があったことに気づくでしょう。
「そういえば、国連という国際機関があったはずだ。
こんな時こそ、国連が仲介に乗り出すべきである」と思うかもしれません。
しかし、今や、
国連は、「存在の耐えられない軽さ」になってしまったのです。
そういうアメリカ映画がありました。
この映画の中で、テレサは、こう嘆くのです。
「私にとって人生は重いものなのに、あなたにとっては軽い。
私は、その軽さに耐えられない」
第二次世界大戦後、日本人にとって、
国連とは、「極めて重要な国際機関だ」と教えられてきましたが、
結局、何の役にも立たず、アメリカに頼るしかなかったのです。
要するに、日本人にとって、国連とは、
「存在の耐えられない軽さ」だったのです。
ちなみに、この映画は、
チェコスロバキアの「プラハの春」を題材にした
ミラン・クンデラの小説を映画化したものです。
「プラハの春」とは、アメリカ対ソ連の冷戦時代にあった、
チェコスロバキアの変革運動のことです。
(詳しくは、ウィキペディアを参照してください)