カラス 2009 9 5

 子供のころに、贅沢を覚えてしまうと、その後の人生は険しい。
子供は認識力が低いから、「豊かであることは当然」と考えてしまう。
そして、大人になっても、子供時代の豊かさが忘れられない。
それが人生の再出発を困難にする。
だから、子供時代に豊かであることは、不幸かもしれない。
もちろん子供に非はなく、
親ばかが子供を不幸にしてしまう。
 私の子供時代は、まだ戦後復興の気配が残る時代で、
都市部はともかく、地方の農村部は貧しかったのです。
 だから、「おやつ」という贅沢なものはなかったのです。
しかし、成長期だった私には、昼食と夕食の間が、あまりにも長かったのです。
 自然の恵みが、私の空腹を満たした。
どこの家でも、庭に果樹があり、初夏には桃、盛夏には梨、秋には柿と、
空腹を満たす食料には不足がなかったのです。
 しかし、冬が近づくと、果樹は冬支度を始める。
「俺たちは、カラスと同じだね」と、友達がつぶやく。
 そのとき、果樹の仲間たちの思いは強いものとなっていく。
僕は学問で身を立てる。
俺は有名なスポーツ選手になる。
手に職をつけて立派な職人になる。
 「どうして、うちは、お金がないのか」と祖父に聞いたことがあります。
祖父は言う。
「我が家は、数百年続く家系だ。
江戸時代には、幕府の旗本や御家人だった。
広大な農地があり、寺院を寄進するほどだった」
子供の私は思う。
「江戸幕府は、明治維新で敗れ、日本は、太平洋戦争で敗れ、
つまり、我が家は、没落貴族だったのか」
 今にして思えば、私は、祖父に、つらいことを聞いてしまったかもしれません。
祖父は、子供時代は豊かだったかもしれません。
私が子供時代に、玩具として遊んだ紙切れは、戦時国債だったと思います。
そのような紙切れが大量にありました。
 「国破れて山河在り城春にして草木深し」と思える人は、人生の達人であって、
たいていの人は、人生の不幸を嘆く。

















































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